注染の歴史を語るときは、浜松ゆかたの歴史を辿る必要があります。
「浴衣」の起こりは、平安時代、貴族たちが湯殿で着た湯帷子(ゆかたびら)が原型と言われています。それがやがて、湯上がりに涼を楽しむ庶民の着物になり、藍で色づけして町着、散歩着として愛用されてきました。
ゆかた産地浜松のルーツは、古く明治20年代の手拭い染めに求めることができますが、その技術を活かした形で、大正の初めごろから浜松で「浴衣染め」が始まりました。これがいわゆる注染の始まりです。
当時、ゆかたの生産は、江戸期以来の伝統を有する東京と大阪が中心でしたが、大正12年の関東大震災を機に、首都圏から新天地を求めた職人たちが水が豊富に流れ、強い風が吹き、染め物の生産に適した静岡県西部に流入しはじめ、注染技法による「浴衣染め」が普及していきました。
その後、浜松注染ゆかたは、その時折々の流行をいち早く取り入れ、白地に紺、あるいは紺地に白といった古来のシンプルなものから多色染め・抜染染めなどの幾多のデザインの変更が伴いましたが、注染そのものの技法は、現代にまで忠実に受け継がれ今日に至っています。