使い捨ての紙容器やプラスチックの容器などが出現する以前、旅や山仕事に弁当持参でいくときには竹の子の皮やカシワ、ホウの葉でむすびを包んだものです。
旅行用には、携帯上の利点もあって、竹や柳で編んだ入れ物(行李式のもの)が多く用いられていましたが、その他生活民具として残る弁当箱には、ワラ・ガマ・い草で編んだ苞類、曲物類、数人分を詰め合わせられる破籠(わりこ)があげられます。
井川メンパがいつ頃から作られるようになったかは定かではありませんが、その起こりとなった井川の曲物は、鎌倉時代から作られたといわれています。また、室町時代、井川には金山が栄え、金山の水替えに杓(ひしゃく)や曲桶が必要とされたため、井川の小河内あたりでは盛んに曲物が作られたといわれています。
さらに、江戸時代末期になると、井川メンパは山村農民の生活用具としてでなく、農村の副業生産物として近隣へ販売されていたことが、明治末の「井川村誌」に記されており、井川の曲物に漆塗りの技術が加わり、現在の井川メンパが誕生したのでした。