静岡挽物の歴史は古く、銘木商の酒井米吉氏が元治元年(1864)、静岡市下石町で挽物業を開業したのが最初と言われています。酒井米吉氏が箱根山で足に怪我をし、たまたま通りかかった小田原の米穀商戸倉常次郎に助けられました。しかし、足の怪我はひどく、銘木商を続けることができなくなり、このため、戸倉常次郎より箱根湯本の挽物職人を紹介されて挽物技術を習得し、多くの人に技術を修得させ、現在まで伝承されていきました。
当時は、足の力でろくろを回転させながら作業を行っておりましたが、明治30年頃より蒸気機関が導入され、静岡では明治40年頃機械化が図られ、大正3年には蒸気機関から電動機に転換されました。静岡における木工挽物旋盤の保有は、昭和20年頃までは10企業たらずでしたが、昭和25年頃から米国向けの輸出用挽物の生産が始まると徐々に増加し、30年代には保有台数も増加しました。