駿河蒔絵の始まりは、文政11年(1828)の頃、信州飯田の画伯天領が駿府に住む塗師中川専蔵に蒔絵の技術を教えたのがきっかけと伝えられています。
それまでは紋蒔絵といって、諸器具に家紋を描いたり、幕府御用箪笥、長持などに唐草を描く程度にすぎなかったのが、天領と専蔵の出会いによって、今日見られるような花鳥草木の蒔絵がニューデザインとして注目を浴びるようになったのです。
さらには、天保元年(1830)、江戸から小林留吉、遷次郎の両人が駿府を訪れ、漆器蒔絵の技術を伝授したことから当時の蒔絵技術はますます向上していったのです。この両人から教えをうけた人たちによって、後に駿河蒔絵の流派が生まれ、それぞれにまた特徴をもった蒔絵が生みだされました。