山国でもない静岡で、どうして木工産業が発達したのか。そのルーツを探ってみますと、徳川時代を築いた大御所、徳川家康の居城であった駿府城の造営、さらに、寛永年間に徳川家光が浅間神社を造営するに際し、各地から名工たちを集めたのが始まりと言われています。
優秀な技を持つ大工や漆工たちが工事終了後も静岡に永住し、土地の人となったことが静岡の木工産業の発展へと繋がりました。もっとも、今川時代の頃、市中御器屋町に中川大工と呼ばれる集団がおり、『浅木御定器を造進した』という記録もあるため、木工指物の技術者が以前からいたことがわかります。
しかし、指物師としての確かな位置づけがされ、需要が起こったのは、浅間神社完成後のことでしょう。
現在「駿河指物」といわれ、親しまれている静岡の木工指物も、浅間神社造営にあたった工人達が技術を広めたことが契機となり、駿河の特産指物工芸の発祥となったと伝えられています。